2010年10月3日日曜日

ルポ資源大陸アフリカ

毎日新聞記者・白土圭一氏著。副題が「暴力が結ぶ貧困と反映」
ここにあるのは、信じられらないくらい荒廃しきった暗黒大陸・アフリカである。
 南アフリカ、モザンビーク、ナイジェリア、コンゴ、スーダン、ソマリアの各国をピックアップし、「資源大陸」の裏側で何が起きているかを克明にルポ、ここまでアフリカの深部に切り込んだ作品は非常に貴重である。しかもかなりリスキーな取材もこころみている。
 一時期ネット上で「世界一危険な都市 ヨハネスブルグ」が話題になったが、(確かに先ごろのW杯で被害にあった外国人観光客・記者は数多くいれど)そんなのはまだまだ序ノ口だと思える。ここに出てくる国や都市は明らかに我々の認識しうる危険の度合いを越えている。行政機能を失い、人口と建造物が放置され、処理されないゴミの山の中、人が生活するコンゴのキンシャサ、無政府状態が続くソマリア、オイルパイプからの原油盗難が半ば黙認され、漏れた原油で土地が全く使い物にならなくなったナイジェリア、資源で得た富の大部分を国防・警察・諜報に回し、インフラ整備や教育にはほとんど還元されない究極の人権抑圧国家・スーダン。いずれも、「北斗の拳」もかくや、の終末的世界である。が、同時代的にこの地球上に存在することを忘れてはならない。そして、これらの国々から生み出される資源を我々もまた享受していることを。

現代アート事典

美術手帖編「現代アート入門講座」。
 そもそも現代アートとは何か?その源流はドラクロワ説、クールベ説、モネ説など諸説あるが、「線と色彩」「主題」の問題、どちらの視点を切り口にするかによってもその起源は異なる。そして、その辿ってきた道のりは一直線ではあり得ない。多岐に分裂・細分化を繰り返し、紆余曲折を重ね、最終的にどの方向へ向かっていくのか誰もわかりえない。ただ、時代の節目節目にキーマンが登場し、世界の大きなキャンバスにシミを落とす乃至は世界の裏庭に得体の知れない造形物を置き、我々に疑問符を植え付けて立ち去ってゆく。
 本書で国内外を問わず、様々な主義主張・手法・アーティストがぎっしり一冊に詰め込まれているが、これだけ多彩な種類を紹介されたのち、冒頭の「現代アート」の定義に対する問いに対しては、リチャード・ハミルトン(Richard Hamilton, 1922-, UK)の1957年の書簡のこのフレーズが最もしっくり来る。
"Pop Art is: popular, transient, expendable, low-cost, mass-produced, young, witty, sexy, gimmicky, glamorous, and Big Business"
(ポップ・アートとはウケがよく、一時的で、使い捨ての、低予算の、大量生産された、若者向けで、気の利いた。セクシーで、いかさまアリの、グラマラスな、金儲け)

2010年9月27日月曜日

The Player

Robert Altman 監督、Tim Robbins 主演の1992年作品。
 ハリウッドを舞台に繰り広げられる映画配給会社関係者たちの権謀策略にスポットをあてたブラック・ユーモア満載のサスペンス。
 "within 25 words" と言われながらそれを遥かにオーバーし、延々と熱弁をふるう脚本家たち、そのスピーチで採用不採用を判断する配給会社の重役たち(年間約5万の応募の中から彼らが選べるのはたった12本)、挙句の果てには、会社側の人間が「脚本家の時代は終わった、俺たちが脚本を書けばいい」と言い出す始末。90年代以降ハリウッドの主流となった「脚本家不要」あるいは「脚本のおいしいどころどり」を予言していて興味深い。“The Match Point”の主人公よろしく、Tim Robbins 演じる主人公は、強力な運に味方されて殺人の容疑を免れ、古い女を捨て、新しい女と幸せな家庭を築き、会社社長となる。そして、ストーリーの芯を貫くのが、主人公宛に脅迫状を送り続ける姿なき知能犯。
 この映画の中では、才能なきものは容赦なく犬死にし、あるいは地位を剥奪され、捨てられる。稀にみるブラックな映画である。面白かった。ハリウッドだけあって、カメオを彩る出演陣も豪華。

2010年9月25日土曜日

Barnett Newman展にて

 「太陽を曳く馬」を読んで以来、念願の佐倉・川村記念美術館に遂に行ってきた。天候はあいにくの雨、それでもフランク・ステラらの屋外オブジェに迎えられると胸が高鳴る。以下そのレポートを…。

1. Rothko Room
六角形の部屋の各壁面に掲げられた“Seagram” 壁画群の一部。(他はD.C. のNational Gallery とロンドンの Tate Modern に散在) 表象だけをとらえるならば、いずれも二色構成、四角の中の四角でしかないが、色使いや枠組みの歪み・にじみ具合にみる個々の作品の意味性、作品の中の2種類の色と四角の主従関係や時系列、作品同士の関係や時系列などなど、見るもののイマジネーションを否が応にも刺激する。これらの作品群はまるで壁面に備え付けられた窓、しかしながら、そのダークな色づかいが表すように、決して開放感の象徴としての窓ではない。むしろ、監視と絶望(の可視化)といった閉塞感の象徴としての窓ではなかろうか?しばし一人展示室にたたずみ、作家との対話を試みようとするも、その重厚さに圧倒されるのみであった。

2. Barnett Newman 展
 Rothko と並んで20世紀の最重要アーティストの一人、Newman。彼の往年の作品は「ジップ」とよばれる縦線で巨大キャンバスを区切り、ただひたすら単色でペイントするという独特の作風で知られる。鮮やかな配色と明確な区切りはRothko 作品と対象的である。饒舌な彼は、自身の作風やその背景についてもかなりオープンにしているので、以下その一部を紹介しよう。
 ⅰ)Newman の原点は、第二次世界大戦以降、当時の世界の負の部分に目晦ましをした風景画、あるいは夢想に逃避したキュビズム、シュールレアリズムを嫌い、全く新しい絵画をスタートさせようと試みる。いわば、絵画をゼロの地平にリセットする試みである。
 ⅱ)作品のタイトルはその時その時の心象風景を表し、意味性を持たせる記号的なものである。
 ⅲ)自己を認識してはじめて、他者を認識でき、そして他者とのつながりを構築することができる。
 3点目はジップスタイルを理解するうえで、非常に重要だと思われる。「原初の光」や「アンナの光」の「ジップ」とそれに区切られた長方形が表象するもの・・・。
 Newman は非常に強烈な思想家だと思う。

3. Others
 ピカソ、レンブラント、モネから、ルネ・マルグリット、マックス・エルンスト、さらにはポロックまで17~20世紀の大物作品を堪能できる非常に贅沢な美術館であった。
 またフランク・ステラの巨大作品群専用の一室が設けられているのも特筆すべき点である。

2010年9月24日金曜日

「太陽」を曳く馬

 高村薫氏の最新作。(篠田節子「仮想儀礼」をエントリーの際に予告しておきながら、アップが大幅に遅れたのは全く以て不甲斐ない限りである。)
 「晴子情歌」「新リア王」に続く福沢家三部作の完結編にして、刑事・合田雄一郎シリーズの最新作(これも最終作らしさを漂わせている)。
 42歳になった合田は、元来の一匹狼的資質が特化、内向的中年として描かれ、鬱病の兆候も出始めている。対照的に、合田の新しい部下・吉岡は頭は切れるものの、かつての部下・森のような苦悩・コンプレックスといった内面の深みはない。(そこそこのところまで切り込むがそれ以上突き詰めようとしない「ステンレスナイフ」のような切れ味、錆びはしないが磨かれもしない、と合田は唾棄する。)彼の唯一の理解者・加納も合田の脳内~加納宛の手紙や独白~でしか登場してこない。非常に重苦しい小説である。が、読めば読むほど味わい深く高村小説の到達点といってもよい作品である。
 合田シリーズの前著「レディ・ジョーカー」(以下LJ)では、人間とは感情の産物である、の旗印のもと、登場人物の感情が横溢・交錯したのに対し、本作ではその感情の原初にあるもの、すなわち、自己とは何か、言葉とは何か、人間はなぜ生き、問いかけるのか、といった決して答えのない禅問答的世界へと読者を導いていく。オウム、さらには9.11を通過して高村氏の到達したのは、まさに現代版「死霊」ともいえる形而上学的小説であり、絵画でいえば、第二次世界大戦を通過し、それまでの絵画表現をリセットしようとしたバーネット・ニューマンの試みと通底するものがある。本作においては、高村氏の代弁者である合田雄一郎は「か・か・か・・・」と言葉にならない吃音を発し、言葉の生まれる前の世界に一人立ち返り、元住職にして死刑囚の父親である福沢彰之は息子に宛てた書簡の中で、息子が何を見、何を描いたか、という心象風景を言葉にし理解しようと努める。(そしてそれらはおそらく一方通行で終わると思われる)そして、物語の舞台である都内の禅寺においては、元オウム信者の雲水の処遇をめぐり、宗教としてオウムをどうとらえるか、宗教の根源にかかる問答が織り成される。
 こうして本作では、いくつもの問いかけと議論が重層的に展開してゆくが、最終的に、真実と虚構が、自己と他者が、ニューマンの絵のごとく明確に線引きされることはない。むしろ表紙にも使われているマーク・ロスコの壁画のように靄のかかった状態で、世界は、そして我々は放置される。が、幾多の議論がここで水泡に帰するわけではない。「最終的に言葉を持つものが強い」(筆者談)という信念のもと、今という時代を必死で再構築しようとした最高の産物ではないか、と私は思う。(このような陳腐な表現をお許しいただきたい。ロスコやニューマンの作品とともに、仏教界の古典に触れないと、この話の真の深みを理解できていないのでは、という気がしている。)

2010年9月20日月曜日

『ザ・風景』

 名古屋ボストン美術館にてつい先週まで行われていた主にUS、UKの現代アーティストの先鋭達の作品展。Ross Bleckner のサイケ模様の平面表現(「物の配列」)から、Andy Warhol と並んでポップ・アートのアイコン的存在である Roy Lichtenstein の精緻なドットをキャンバスに落とした絵柄的表現(「海の風景」)、よく見ると絵が細かいメモ書きで埋め尽くされているスティーブン・ハノック「オックスボー」、ロールシャッハ・テストの陰影のように陰影表現が巧みなキャサリン・マーフィ「カーテンのかかった窓」、まるで写真のようなジョエル・ジャノヴィッツ「Playground」などなど、風景画として一括りにするのは無理があるようなバラエティ豊かな作品群が並ぶ。風景画というより、現代絵画のショーケースとして楽しめる。(ちなみに展覧会の英語表記は「Changing Soil: Contemporary Landscape Painting」)表現の仕方は違えど、いずれも人間の2つの目を通して見たものを平面に落とすという作業の結実であり、それにより我々の創造力を掻き立てられる、という作用自体は変わらない。
 なお、同時開催の「時の遊園地」では国内現代作家をフィーチャー、照明に群がる虫たちを延々とうつした映像作品が印象に残った。

2010年9月6日月曜日

化野念仏寺



 少々遅くなったが、夏真っ盛りの京都に行ってきたのでそのレポートを。(9月に入ったとはいえ、昨日も京田辺市で9月観測史上最高の39.9℃を記録するなど、京都はまだまだ暑い!今年が異常なのか、これがNew Normal となるのか…)
 今回のメインは立派な竹林と無縁仏で有名な化野念仏寺。一歩入れば、そこには空海の時代から時が止まったかのような幻想的な風景が垣間見られる。ちょうど行った日の数日後には、これら無縁仏にろうそくを灯す「千灯供養」が控えているようだ。夜の光景も一度見てみたいものである。念仏寺のある区域一体はまちなみ保存地区に指定されており、風情豊かなお土産屋、お茶屋、懐石料理店などが軒を連ねる。猛暑の中、愛宕山を目指して汗だくになりながら歩くハイカーたち。私は軟弱にも車で入ったのだが、観光案内所兼有料駐車場のおばさんの親切さも忘れ難い。

2010年8月19日木曜日

"Corporate Warriors" P.W. Singer

この夏、読んだ中では最もインパクトの大きかった作品。
 Sub title に"The Rise of the Private Military Industry" とあるように、90年代以降(湾岸戦争以降)、戦争という行為、すなわち、兵士・兵器の供給、情報収集等一連の活動が民間会社(PMF)に外注されることがポピュラーになった。本書はこの新たなフェーズに関する現状分析を数社の事例を中心に展開する。私が購入したのは2nd edition(2007)であるが、これには初版(2002)に加えイラク戦争(2003~)におけるPMFの機能に関する考察を追補としている。
 経済の教科書などでも安全保障は道路・水道整備などと並んで市場性が低く、官でやるべきものと仕分けされてきた。が、軍事産業もその進化に伴い、技術・戦略・武器及び人材調達など根幹的な部分で民の力を借りざるを得ないフェーズに入ってきている。例えば、ペンタゴンは、MRRI、DFI、Logicon などのPMFに研修・アドバイザリーなどを委託している。
 驚くべきは、これらPMFと提携しているのは政府のみではない点。先ごろ原油流出で世間を騒がせた石油メジャー・BP をはじめとする民間企業、メキシコ麻薬組織・コロンビアゲリラなどの反政府組織などもPMFと契約し、独自の傭兵を囲っている。
 これらPMF台頭の背景には、冷戦終結による戦争形態の変容(国対国からイデオロギー闘争へ)、人材の余剰(元軍人、さらにはもと囚人なども傭兵に)、武器の余剰と民間流通ルートの開発、などが挙げられる。
 湾岸戦争を皮切りに、90年代国際社会を揺るがしたアフリカ諸国やバルカン半島での内戦、すべてにPMFが噛んでいる。とくに"EO"こと"Execute Outcomes"がシオラレオネ内戦で行った民間人虐殺は悪名高い。
 PMFには、3階層あり、前線に近い順に
 1.Military Provider: 〈代表例〉EO
 2.Military Consulting Firm:〈代表例〉MPRI (Military Professional Resources Incorporated)  
 3.Military Support Firm: 〈代表例〉BRS (Brown & Roots Service, 大手ゼネコンHalliburtonの一部門)
 と分けられる。それぞれの役割・強みがあるが、その境界はやや曖昧な感は否めない。
 PMFの課題としては、PMFと政治的権限あるいは政治的思想との結合/分離の在り方(戦災国復興までPMFに任せてよいのか、相反するイデオロギーを有する戦争主体に一会社が傭兵を派遣することの是非)、国の正規の軍とPMFとの連携不足(PMF=即席のため、軍の規律やオペレーションに従わないという不満)、PMFのインセンティブ(経済性=報酬だけでよいのか)のあり方、人権をめぐる諸問題などなど枚挙に暇がない。が、これら筆者が発していた警告が届くまでもなく、USはイラク戦争に突入、PMFの独自の発展に法整備・環境整備がますます追い付かなくなってきた、と追補で筆者は嘆く。
 歴史的には戦争行為により覇権を有したオランダ西インド会社(17C)などの例もあるが、このままPMFを野放しにしていくと、企業間の本当の意味での戦争、暴力による市場の支配、などという恐ろしい現実(これぞ資本主義の究極形?)が待ち受けているかも知れない。アメリカだけならまだしも、先ごろ日本を抜いて世界No.2になった国が本腰を入れようものなら…。

2010年8月15日日曜日

『幽霊座』 横溝正史

「幽霊座」「鴉」「トランプ台の上の首」の三編収録。
 いずれも戦後初期を舞台としており、歌舞伎がまだ庶民の娯楽だった時代の芝居小屋(「幽霊座」)や、隅田川沿いの家々にボートで惣菜を売って回る商人(「トランプ台の上の首」)など、古き良き時代の情景が浮かんでくるようで、昭和風俗史の語り部としても横溝正史は類いまれな存在であることを実感させられる。
 前二編はいずれも死んだと思った人間が生きていたトリック、中国の阿片窟や戦後の混乱など、当時の時代背景を隠れ蓑にしてこそ成り立つ物語となっている。さらに、「幽霊座」は犯人の少年時代からの異常な残虐性をも描いており、当時から少年犯罪というものが身近な社会問題であったことをうかがわせる。
 「トランプ台の上の首」は横溝トリック、というかミステリーの王道である「密室」「首なし」「身代わり」などのトリックをふんだんに使い、技巧的な極致まで小説を導こうという実験性が表れている。(氏は、世のミステリー小説は大まかに上述の3トリックに分類される、と、別の小説で語っている。半世紀以上前ながらかなり本質をついた指摘である)
 トリック手法、古き良き東京の風景、そして金田一耕助のヒューマニズムあふれる謎解き、と短編集ながら横溝作品の魅力がぎっしり詰まった一冊である。

2010年8月14日土曜日

アートとホラーの融合

『禁じられた楽園』 by 恩田陸
 アートとホラーの融合といえば、篠田節子の『神鳥(イビス)』がまず心に浮かぶが、本作もそれと同カテゴリーに整理される作品だと思っていただいてよい。
 筆者曰く、『パノラマ島奇談』の現代版を作りたかったということであるが、なるほど、途中までは映像化まで視野に入れて、非常によく練られた展開だと思う。若者たちの心に巣食うトラウマ(猟奇事件など)、サブリミナル、恐怖のビデオ、謎の財団からの資金供給など、現代風の素材を作者一流の技巧で料理し、エッシャーのだまし絵のごとき現代のパノラマ島まで、ハラハラドキドキさせながら読者を導く。が、最後がいただけない。なぜ、あんなマイルドな結末になるのか?それまでのゴシック的世界が最悪の形で一気に破綻する。無理矢理感がありすぎて、非常にもったいない作品になっている。乱歩へのオマージュを謳うなれば、その狂気の果てまで読者を導いてほしかった、というのが一読者としての見解である。むしろ、そこまでの狂気は持ち合わせていないなら、こんな挑戦はやめていただきたい。途中までの期待感と読後の失望感のギャップが非常に大きい作品である。

サケの遡上

BBCドキュメント“Great Nature”より。
 アラスカ、ブリティッシュ・コロンビアに毎年産卵にやってくるサケの群れと、それを貴重な食料として捕まえるクマの物語。
 春、冬眠から冷めたクマたちは、残雪の中、山を降りてくる。一方、サケたちは、同じころ、太平洋のはるか彼方から独自のコンパスでもって自分達の生まれた地への旅を始める。(脳内の鉄分が帰郷本能を手助けしているらしい) 両者の距離、約3000km。サケは、道中、シャチやオットセイ、サメ、ハクトウワシなどあまたの捕食者の餌食になる。さらには、気候や環境により(雨不足による酸素欠乏、水温上昇等)道半ばで死ぬ仲間も多い。一方、クマも雪山下山、オオカミの群れ、飢え、といった数多くの困難と危険を乗り越え、サケの上る川べりへやってくる。両者の対面ほぼ奇跡といってよい。クマとてサケを簡単に捕まえられるわけではない。数々の危険を生き抜いてきたサケたちは運動神経抜群、急な滝でも遡る筋肉とバネ(人間にしてみれば4階建てビルを飛び越える跳躍力らしい)は、小回りの利かないクマからどんどん逃げていく。ようやくクマの餌食となりうるのは、産卵を間近に控え、体力も消耗した秋口ごろである。逆にクマはこの時期に食いだめしておかないと冬を越せなくなる。(それまでやせ細って大きめの犬くらいの体型になっていたクマが、一気にクマらしい体型になるのもこのころ。)
 サケの中には、産卵後そのまま死んでしまう種類もある。それの死骸は、クマの食べ残しとあわせて、森の掃除屋(虫たち)にきれいに片付けられ、森林を成長させる肥やしとなる。そして森林は翌年もサケを迎え入れる。ちょうど今頃は、クマたちが遡上してくるサケをとらえようと悪戦苦闘している時期である。北の大地に根付く神秘的なサイクルである。

2010年8月13日金曜日

ミスター内調の回顧録

『日本のインテリジェンス機関』 by 大森義夫(2005)

 宮沢、羽田、村山、細川、橋本と5人の歴代首相に仕えた元内閣情報調査室長の回顧録。
 湾岸戦争、阪神大震災、オウムの一連の事件、ペルー日本人人質事件など当時のインテリジェンス的重大事件を絡めつつ、各首相の性格をも描写し、黒子に徹した氏の視座から見た時代そのものが垣間見れて非常に面白い。
 「インテリジェンスの前庭(フロントヤード)から」にはじまり「インテリジェンスの裏庭(バックヤード)から」で占める構成もハイセンス。
 「情報」とは「敵情報告」が由来という一説、モーゼの11番目の戒律「汝、見つかるなかれ」、なども初めて知った。また、諜報活動の基礎は新聞スクラップなどの極めて地道な作業(今であればネットでの情報収集か)であり、情報をいかに入手し有益に生成するか、というのがインテリジェンスに携わる者としての真骨頂であるとしている。
 本書を通じて、氏が伝えたいのは、決して自らの功績自慢ではなく、日本のインテリジェンスの未熟さへの憂慮。まず挙げられるのは、アメリカでは大統領と腹心があつまれば、そこが食堂であろうと、諜報会議が成立する("Kitchen Cabinet")のに、日本とくればヒエラルキー的手続きを踏んでトップ報告をせねばならない、その間にどんどん情報劣後になってゆく、というシステム的問題。併せて大きいのが、いわゆる「情報の専門家」不在により、情報そのものが官僚や政治家の “status quo”(現状維持)の道具として扱われる現状である。インドのRAWなどアジアにも優秀な諜報機関ができはじめていることを見るにつけ、北朝鮮問題や台湾問題、北方領土問題など近くに火種を抱えるなか、日本はこのままでいいのか、と大いに考えさせられる一冊である。

現代アートへの誘い

『現代アートビジネス』 by 小山登美夫(2008)

 富裕層の道楽として成熟してきた現代アートへの投資。Sotheby's や Christie's などの有名オークション、村上隆や奈良美智など世界的に有名な日本人アーティストの名前は皆さんも一度は耳にしたことがあろう。富裕層とは程遠い私にとっては全く未知の世界であるが、現代アート作品及びアーティストがどのように「流通」し、どのように「ビジネス」として成り立っているかを垣間見る入門書的な一冊である。

1.生産者(アーティスト)の立場から
 アーティストとて、自分の作品をいかに売り込むか(プレゼンテーション能力)、商業主義といかに距離を置くか、などビジネス的才覚が非常に重視される時代になった。(派手に宣伝広告し「コピーライト」を掲げる村上隆と、全くそういったものと無縁な奈良美智、と日本の両巨頭は対照的スタンス) また、いかに足がかりをつくるか、という意味でギャラリーに作品を扱ってもらうことを目標にするアーティストの卵が増えているらしい。小さなギャラリーから一歩を踏み始め、最終的には聖地 Gagosian Gallery(Leo Castelli が若手アーティスト発掘のために1957年にNYに開設した画廊)を目指す、いわば、地域の草野球チームからNPB、そしてMLBへ…みたいな職業人的感覚、後世での評価より現世での充足を重視する傾向か。

2.売り手(ビジネスコンダクター)の立場から
 若手アーティスト発掘の場はギャラリーだけではない。特に注目度が高いのが、多くのアーティストが一同に会するアートフェア。ギャラリーのみならずアートフェアの世界にもヒエラルキーがあり、スイスの「アートバーゼル」を最高峰として、日本最大級の「アートフェア東京」や無名の若手のみを取り扱うフェアなど数多く存在する。またアートフェアにはGoldman Sachsなど投資銀行のスポンサードが多く、富裕層と現代アートをマッチングさせる場としても機能している。こういったイベントやギャラリーを手掛けるキュレーター、ギャラリストなども現代アートの一翼を担う重要な存在である。(アーティストと言っても過言ではない)

3.顧客(投資家)の立場から
 一昔前までは、ギャラリーという閉じられた世界が主流であったアートマーケットも、前述のフェアやたインターネットオークションの誕生で敷居が低くなった。が、現実的に、アート作品は著名なギャラリーやフェアに出展、あるいはカリスマと呼ばれるコレクターが買いつけたことでそのブランド価値が高まる。そういう意味で現代アート発展の鍵を握っているのは一部の富裕層であることに違いない。バブル期の日本のような投機的買い漁りは市場にプラスに働かないことは歴史的に証明済み。今日、中東・BRICs諸国等の富裕層が、無名アーティスト作品を手当たりしだい青田買いしているという噂もある。彼らに望むのはアートを心から愛し、育んでいこうという態度。アートは一握りの人間に独占されるべきものではなく、広く人の目に触れてこそ価値が高まる、というのは古代からの普遍的事実。

4.日本の市場
 強み:オタク文化(Japan cool?)の浸透とそれを生み出した創造性、資金力
 弱み:批評性の希薄、国際的に有名な美術館の不在、税制・予算等財政的劣後
 機会:元来「美術館好き」な国民性(特に旅行先などで)
 脅威:中国・韓国などでの市場の勃興

2010年8月9日月曜日

NBA 2010以降

 Lebron Jamesの移籍先がMiami Heatに決まった。来季はMiamiにDwyane"Flush"Wade, Chris Boshといった03年ドラフト組の逸材が勢ぞろいし、間違いなく優勝候補の筆頭にあげられるどころか、この先数年はこの“新ビッグ3”を抱えるチームがNBAを引っ張っていくと見られる。
 にしても、今回のLebronの選択には不透明な部分が多く、旧所属のCleavlandのオーナーや監督は公然と彼を批判(「自己陶酔的で自己宣伝的」)、地元のファンも彼のTシャツを焼くなど過激な行動に走り、非常に後味の悪いものとなった。今回の移籍の異様さは、クラブの背広組を通じてではなく、Lebeonが自らの口から移籍先を発表する場をESPNがセットし、独占的に配信するというスタイルもひとつ影響している。斬新といえば斬新だが、さすがのアメリカにも受け入れる土壌は整っていなかった、というべきか。いわば、Lebronという銘柄がクラブのマネジメントを超えた存在であることを知らしめるための企画であり、「一介のアスリート(しかも伝統あるチームスポーツの選手)がタレント気取りか!」といった印象をもった人々が少なからずいたはずである。日本でいえば、例えば、ダルビッシュがフジのすぽルトが組んだ1時間特番で三宅アナあたりを相手に「日本のファンの皆さん、すみません。来年からメジャーに行きます、行き先はニューヨーク・ヤンキースです。」といったらどうだろう?応援する気になるだろうか?
 もちろん、アメリカと日本ではメディアの発達度も国民のメンタリティも違う。が、やはり現役アスリートのセルフ・プロデュースというのは非常に難しい。天下のESPNがついても、だ。今回のLebron移籍騒動は、今まで彼を支えてきた利害関係人を全く無視したという意味で、マーケティングの失敗例としてとらえるべきであろう。

日本相撲協会

 暴行致死、大麻、横綱の仮病に泥酔暴行、とここ数年不祥事のオンパレードである日本相撲協会。週刊新潮の記事を発端に、遂に裏社会とのつながりというタブーの域にまで捜査のメスが入った。しかし、今回の一連の騒動を見るにつけ、マスコミや関係者が「臭いものにフタ」の精神でひた隠しにしていたものが、内外環境の変化で表出せざるを得なくなったのに過ぎないのでは、という印象を拭えない。守られてきたものが、守れなくなる。それはジャンルそのものの求心力の低下、今回でいえば、大相撲のみならず裏社会の弱体化も一因にあるのではなかろうか?あるいは民間企業並にビジネスライクな裏社会が人気低迷で金にならない大相撲を切り離しはじめた、ということか…。もちろん、裏社会とのつながりは好ましくないし、何よりNHKでの相撲中継を楽しみにしているお年寄りや子供たちに顔向けができない恥ずべき事実である。が、大相撲の求心力低下が進行する以上、これからも不祥事はどんどん表出するだろうし、シノギの厳しくなった○○からの突き上げ(暴露)も増えることだろう。誠に残念ながら。それでも外部からの人材注入を阻止し、自分達の最後の砦、力士出身の理事長を必死で守ろうとする協会と親方衆、まさに沈没寸前のノアの箱舟である。

2010年8月8日日曜日

2010南アフリカ以降

 レギュラー11人中7人がバルサからだったスペインの初優勝で幕を閉じた2010のW杯。岡田監督率いる日本代表の躍進(大会前の期待値がかなり低かっただけに)にもびっくりさせられたが、相次ぐ強豪の早期敗退、スター選手たちの思わぬ不振、相次ぐ誤審など今大会も落胆と歓喜、驚愕の連続であった。
 クラブ関係者にとっては絶好の見本市であるW杯、今大会で価値が高騰した(と思われる)超人気銘柄と移籍市場の動きをピックアップした。

Luis Suarez, Uruguay, AJAX
 何といっても、今大会最大のヒーロー(ヒール)。vs. Ghana での「神の手」ならぬ「悪魔の手」でアフリカ中を敵に回した腹黒さ、泥臭さには組織化されたサッカー先進国が置き去りにした何かを見た気がする。AJAXはこの超人気銘柄に€40m(約48億円)の値札をつけ、噂されるメガクラブ(Man U?)を牽制している。

A. Gyan, Ghana, RENNES
 アフリカ勢唯一のベスト8の原動力となったFW選手。レンヌでも1トップを努め不動のエースであるが、今夏の移籍が確実視されている(行き先はプレミアか?)。レンヌのつけた値札は€20m(約24億円)。

Meust Ozil, Germany, BREMEN
 Aggressive and Diversified に生まれ変わったドイツ代表の象徴ともいえる同選手(トルコ系)。トップ下から切り込んでいく鋭さは圧巻であった。ブレーメンとは11年までの契約となっているが、レアルが狙いを定めているという噂も。

Thomas Muller, Germany BAYERN
5ゴールを挙げて得点王、さらには最優秀若手選手にも選ばれた20歳。すでにBayern というメガクラブに所属しているため、引き抜きは至難を極めると思われる。

Keisuke Honda, Japan, CSKA MOSCOW
  やはりこの男がいないと、と国民誰しもが思う日本の至宝。大会中は1トップという変則的起用にもかかわらず、その実力をいかんなく発揮。同じく世界に名を売ったDF長友、GK川島らとともに4年前には想像だにしなかった新生ジャパンの象徴的存在であった。ご存知のとおりMilan, Arsenal など引く手あまた。

 最後に…元来W杯といえば、大会アンセム的な音楽があるものだが(今回もShakira?)、今大会はブブゼラの音にすべて上書きされたといっていい。既述の誤審や強豪の早期敗退もブブゼラの耳にまとわりつくような音の影響が少なからずあろう。この民族楽器こそ今大会を通じての真の主役、全く恐ろしい鳴り物である。ちなみに、Arsenal, Liverpool など England Premier League の強豪クラブでは、いち早く今シーズンにおけるブブゼラ持ち込み禁止という対応にとってでたようである。




2010年8月7日土曜日

ループの神

「セピア色の凄惨」 by 小林泰三

してやられた、一本とられた!という感じの作品。

 ここに出てくる人達は本当に頭がおかしい。一本どころか何本もネジが抜けている。でも現実に存在してもおかしくない。特に「ものぐさ」の女主人公なんて、今世間を騒がせている大阪で二児を餓死させた鬼畜母そのものではないか!他にも、約束した女と違う女と間違ってデートし、そのまま結婚・子供まで作ってしまった男、過度な自傷癖の女、40tのだんじり曳きに命をかける漢たち、といずれも信じられないようで現実にはあり得なくない話のオンパレードである。そんな彼らの支離滅裂な話をつなぎ合わせ、最後でうまく落とす(帰るべきところに物語が帰ってくる)、この絶妙感、まさに神の領域である。
 氏の作品ということで少々グロテスクであるが、シュールな笑いを求める人、ちょっといっちゃった人たちの壮絶人生ループにはまりたい人、背筋をひんやり冷やしたい人にはおすすめの作品である。

2010年5月5日水曜日

This is not my game

"SAW 6"(2009)
 シリーズを重ねるに連れ、描写の凄惨化と"Jigsaw"の神格化だけが進行し、第一作を超えられない典型になった感のある"SAW"。今回もMTVのRealty Show "Scream Queen"(同系の企画としては最高にイロモノ、バカバカしくも楽しかった)を勝ち抜いたタニ―ドラが出演するというのが唯一の鑑賞動機。
 が、意外にストーリーやゲームも練られていて楽しかった。冒頭いきなりタニ―ドラ。自分の腕を切る迫真の演技。うーん、やはりこの役はライバルのミッシェル(スタイル自慢の小生意気な西海岸系ネーちゃん)やアマンダ(?巨乳ポッチャリ系美形の元子役)にはハマらない(っていうか可哀そうすぎる)、とまず納得。
 今回の生贄は保険会社社員。アメリカでは社会問題化している医療保険の未払い(不払い)というテーマを絡め、計算式で他人の人生を左右する保険会社社員への因果応報という非常に解りやすい懲罰動機。そして今回の「拷問装置」の目玉は何といっても人がグルグル回って銃口の前にさし出される「地獄のロシアン・ルーレット」。ルーレットの「弾」と化した保険会社社員同士の罵り合いは恐ろしく醜いが滑稽である。
 自らの手で部下の殺生を決めるという拷問をくぐり抜け心身ともにボロボロになりながら何とかラストステージに辿り着いた社員と、シリーズ3以降でJigsawの後継者としてドSぶりを遺憾なく発揮してきたHofman刑事がともに最後に気づくのが…タイトルの言葉につながるわけである。保険社員は、今まで冷たくあしらってきた貧しい顧客の家族に、そしてHofmanはJigsawの最愛の娘の手に、自らの生死を委ねられる。
 もはや年中行事として定着したSAWの新作発表、SAW7は今のところ3D、Dr. Gordonの復帰という噂が聞こえてくるが、個人的には、Hofmanのキックアウトによる残虐性の軽減、よりゲーム性重視のエンタメ化という原点回帰を希望する。

2010年5月2日日曜日

1年越しのGW映画

“Gran Torino” by Clint Eastwood

 久々に文句なく「面白い」と思える映画に遭遇。去年ハイプバリバリの“Slum Dog Millionaire”なんか観に行くんじゃなかった、と後悔しきり。
 くしくもこの映画のテーマも「後悔」。悔いの連続を人生の締めくくりに向かう偏屈老人が最後に出会った隣人、アジア人の冴えない少年。彼もまた、同民族のチンピラにそそのかされ、老人の愛車“Gran Torino”を盗もうとした悔いを原点に生きる。
 作品は差別・偏見・暴力のオンパレードである。が、決して不快感はなく、むしろアメリカの都市部に住んでいたなら覆い隠されて気付かないでいる部分(人種ごとのセクショナリズム)、あるいはあえて触れようとしない部分(タブー)が、中西部の辺鄙な田舎を舞台にすることにより、ストレートにあぶり出され非常に爽快感がある。Clint演じる主人公が、前述のアジアの少年に“Man's talk"を教えてやるといって、床屋に連れていくシーンは最高に笑える。(床屋の親爺とClintの掛け合いはSuper cool!)
思っても言わない「知識と教養がある善良なアメリカ人」と、そんなアメリカ人とは普段なかなか交わることのない「順応性が高く勤勉ながら閉鎖的なアジア人」という化けの皮を見事にまで崩してくれた巨匠の腕に感服する。この作品を最後に監督業に専念するという噂もあるClint Eastwood。もし本当だとしたら、名優の引き際としてこれ以上相応しい作品はないであろう。
 この作品から個人的に想起されるのは"American Beauty"(1999)。言うまでもなくGeneration X以降の「歪んだアメリカ」をさらけ出し、アカデミー賞に新たな境地を拓いた秀作であるが、"Gran Torino"は同じ「歪んだアメリカ」を老匠Clint の眼がどう捉えているか、という観点から見ても興味深い。

未知の世界

 30代半ばにして行ってきました、人生初サーカス。世界3大サーカスの一つ、木下大サーカス!
場所は名古屋の白川公園。GW5連休の初日、後楽園ホールよりやや狭いと感じられるテント内には人がぎっしり。1000人は下らないであろう。やはり小さなお子さん連れが目立つ。
 一旦開演してしまえば、あとは目の前で繰り広げられるスペクタクルに身を任せる夢心地の2時間。アクロバティックな人間舞踊に始まり、一触即発の「ライオン・トラ・ライガー」ショー、癒しタイムの象さん曲芸、3台のバイクが球形内を走りまくるオートバイショー(ちょっとうるさい)、「7チェアー」と呼ばれる椅子の上でのバランスどり(TVと生では迫力段違い)、綱渡り・空中ブランコなど定番メニュー、幕の合間にはピエロによる客いじり(選ばれた)・・・、と映像や活字でしか知らなかった世界が次々と展開される。「見世物小屋」とはこのことだったのか、と。圧巻はアメリカ人デュオが命綱なしで自らの歩行により、両側が車輪状の天秤を回転させる“Wheel of Death”!! 単なる歩行ではなく、縄跳びや逆立ち、目隠ししてまでバランスを取る、その大迫力に思わず手に汗を握る。テクノ調ビートも相まって非常にカッコよく、「見世物小屋」の域を遥かに凌駕した「21世紀的サーカス」を感じる時間・空間であった。
 会場を後にしたときに聞こえるライオンやトラの咆哮・・・オフィス街の目と鼻の先にある公園で猛獣たちが(公演期間の)約3ヵ月間も滞在し、また世界各国から来ているサーカス芸人やスタッフ達がプレハブで生活しているというシュールさ。この昔ながらの「旅芸人の一座」的な世界もサーカスがより妖しい魅力を放つ要素のひとつに違いない。

2010年3月7日日曜日

冬季五輪

 バンクーバー五輪が終わって早1週間。オリンピックとは、4年に1度の「宴」に相応しく、短期間にパッと盛り上がってシュンと消える、聖火そのものである。
 中でも後世語り継がれるであろうは、キム・ヨナと浅田真央のハイレベルな名勝負である。フィギュアには今まで全く興味の無かった私でもこれは痛く感動した。元来ライバル同士の物語が大好きな日本人、とりわけ、お隣韓国との競り合いとなるとナショナリズム的部分も相まって異様な盛り上がりを見せる。ちょうど1年前、WBCで大いに盛り上がっていたのを思い出す。にしても、年齢も同じ、キャリアもほぼ同等のキム・ヨナと浅田真央のライバル関係は完璧に近い。お互いにバチバチ意識していることが画面を通じてもヒシヒシと伝わってきた。特に、フリーでキム・ヨナが史上最高得点を出した後の真央ちゃんの悲壮感溢れる表情…。そして涙のインタビュー、首をかしげなががらの銀メダル表彰台…。今まで無邪気で真っすぐな子どもだと侮っていた(or演じてる風に見えた)真央ちゃんが、実は信じられないほど高い目標を持った負けず嫌いな子であると解った今回の件。銀であれだけ悔し涙を流せる日本人がいること、そしてそれほど意識しあうライバルがいることが奇跡であり、幸福であると思う。
 ヨナの演技も素晴らしかった。採点云々の外野の声は無視していいと思う。引退報道もあるが、出来るなればもう少しこの物語の続きを見てみたいものである。

2010年2月14日日曜日

ネット社会と宗教と小説と

「仮想儀礼」 篠田節子(2009)
 
 遅まきながら09年屈指の話題作2作について。
 
 9・11を境にどう行動したか?オウム事件を宗教としてどう整理するか?テーマは奇しくももうひとつ取り上げようとしている高村薫「太陽を曳く馬」(次回以降アップ予定)と全く同じである。ネットの伝播力をすでに取り込んだ「ロズウェルなんか知らない」の劇場化社会事件をさらに深化し、起業対象としての宗教、宗教に依存する経営者の孤独とそれを冷ややかに見つめる社員、ジェンダーやジェネレーションによる目に見えない(直観的な)摩擦、家庭環境など共通項を持つもの同士の団結力、持たざるもの間の摩擦、といった様々なテーマを散りばめて破滅に向けた物語が展開される。
 そもそも宗教とは何なのか?この物語では、確固たる教義、起源、神など存在しなくても(主人公たる創始者に関してはポリシーすらもない)、それをよりどころとする人々の手によって成長し、転がされていく共同幻想に過ぎない、という新興宗教独特の危うい側面が余すところなく描写されている。傍から見れば、非常に滑稽でシュール、できれば関わりたくない、オウムや9.11を通過した我々の「宗教」に対するスタンスもほぼこの物語どおり、といってよい。とにかく非常に現実と非現実のバランスが絶妙、宗教内部なら有りうべき話かな、と思わせられる秀逸なエンターテイメント作品であった。(最後の方の女性信者の淫らな暴走はやりすぎ感もありいただけなかったが・・・)
 蛇足であるが、某巨大カルトをモデルにしたに違いない大物宗教家(こんなの描いて大丈夫?篠田さん)が一番怖い存在であった。

アンチヒロインと地回りミステリーの真髄

「生首に聞いてみろ」 法月綸太郎(2002)
 トリック的には芸術家にしかわからない部分も多く、死者の交代や抜歯による骨格の変化などやや強引なプロットを多用している感が否めない。にもかかわらず十二分に楽しめた。この作品において特に気にいった点は二つある。
 まずは、アンチヒロインの物語であること。序盤では登場回数とセリフの多さ(しかも優等生っぽくウザい)から名探偵・法月の右腕となるヒロインキャラになるのでは、と思われた女子大生・江知可は、無残に殺され、生首が宅配便となって届けられる。しかも目を見開いたメデューサのような姿で・・・。あとのキャラははっきり言って曲者あるいは悪人ばかり。決して正義の物語ではない。
 もう一点は実在する都市のディテールに抜かりないこと。小説では町田・八王子・名古屋が主な舞台となるが、八王子・鑓水や黒川紀章デザインの名古屋市美術館といった隠れた名所の解説に当該地に対する愛情がうかがえる。
 そういった意味では、展覧会の準備のために名古屋市美術館に赴いた「個展オーガナイザー」(登場人物としては3・4番手程度、商業主義の権化)のもとに生首が届けられる一部始終を描いた中盤数頁の“Interlude”こそこの小説の白眉。ここで初めて「事件」は起こり、物語も一気に加速する。
 エラリー・クイーンの影響下にあることを公言している筆者であるが、クイーン小説の名物「読者への挑戦」に代わり、主役外に視点を移し事件を投影するという高度な手法を難なくやってのけている。

2010年2月7日日曜日

賢人の警鐘より~半ば妄想

 人間が筋肉労働に代わるものとして動力を手に入れたのが産業革命。
 頭脳労働を代行(特に記憶の部分)するようになったのがIT革命。
 肉体・頭脳とくれば次は精神であるが、どのような形の革命が予想されうるだろうか?
 人間の精神にとって代わるもの・・・精神的負担を軽減あるいは除去してくれる魔法の道具。
 ドラッグ・アルコールなど向精神的な物質は既に昔からあるが、それらは一時的に仮想の自己精神を作り出すだけであって、誰か(何か)が自分の精神を代行してくれるわけではない。
 ネット内部のみで完結するバーチャルな人間関係。精神的負担が人間関係の摩擦から生じるものと仮定すれば、それも有りかもしれないが、コミュニケーションという行為が存在するかぎりは、精神の拠としての人間は必要である。
 完全なる無に近づく世界。宗教はどうか?これも前出のドラッグと同様、誰かが精神的負担を代行してくれるわけではない。(何かを捨てる~イスラム原理主義テロリストの場合それが命にもなるわけだが~という犠牲を伴うと同時に、何かに依拠することにより新たなる精神を付与されるに過ぎない。)
 ロボトミー…これも何かを喜捨しなければならないだろう。
 最後にクローン技術。生きる意志を保ちつつ、精神的に滅入って来たら、いつでも他の肉体に乗り移れる。これが一番「精神代行」と呼ぶに近いかも知れない。電気羊の夢を見る未来人…ゾッとする話であるがあり得ないことはない。

時代と寝た漢~朝青龍

横綱・朝青龍が電撃引退した。
 初場所で優勝した直後、白鵬には昨年から(本割で)7連敗中だったものの、まだまだ余力を残しての引退だけに、史上最強横綱という幻想は今後必ずや角界そして彼の周りについてまわることであろう。
 暴行事件の真相や今後の身の振り方についてはゴシップ報道に任せるとして、内舘牧子氏に「アスリートとしては一流だが横綱としては認めない」と最後っ屁をかまされた朝青龍の功績を振り返りながら、角界に残したものについて論じてみたい。
 ちょうど貴乃花が引退した2003年に横綱に昇進した朝青龍。その豪放磊落な取り口と私生活、不遜な言動は、前時代を牽引した優等生・貴とは正反対、まさに“リアル播磨灘”であった。伝統やしきたりの名のもと閉塞感が漂う角界に風穴を開けた彼は、00年代の角界の象徴にとどまらず、当代きってのヒーロー(ヒール)であった。そんな彼に足を引っ張られるように00年代の角界はかつてないほど負の連鎖に見舞われ(朝関の仮病疑惑、八百長暴露、暴行死事件、薬物汚染…)、日本相撲協会の評判は落ちるところまで落ちきったと言ってもよい。不祥事のたびに改革・改革と叫ばれ続けてきたが、協会のドル箱でもある横綱をコントロールできないようでは、真の改革はありえない。モンゴルの大草原を走り回っていた少年は、その奔放さのまま強さを追及し続け、いつしか協会の枠におさまりきらない存在になってしまったのである。
 しかし土俵上では、彼が(不甲斐ない)日本人以上に「相撲道の発展」に寄与したのはまぎれもない事実である。2年前の楽日決戦で日本人がいなくとも感動を呼び起こすという偉業をやってみせ、角界は新たなフェーズに突入した。時代を前進させるのは常に朝青龍のような異端児である。(白鵬のような優等生ばかりでは業界は発展しない。白の強さが引き立つのは青がいてこそ。)
 土俵上では相撲道を発展させる一方で、土俵外では相撲界の地位を著しく貶めた稀代の横綱。いずれにせよ、次の大阪場所はかつてないほどの大きな喪失感が土俵を覆うに違いない。そして、貴乃花新理事に期待するよりも何も、次代を担う現役力士が出てこない限り、2010年代の角界の先行きは暗いとしかいいようがない。(最後の日本人横綱対決が91年夏の北勝海―旭富士以来更新されてないのは悲しい限りである。)

2010年1月3日日曜日

2010年

2009年判明したこと:
・外見やキャリアはネットでいくらでも偽装できる。いや、独身男性も40を超えるとの異性に対する外見判断能力が著しく損なわれる。
・裸足で犯罪現場から駆け出しても、その気になれば2年半は逃げられる。そして、整形手術は身分証なしでも受けられる。
・道玄坂のホテル街から職質を受けてそのまま姿をくらましても2週間は逃げられる。単なる薬の犯罪なら3ヶ月もたてば世間のほとぼりも冷める。
・新興の経営者連中は、六本木ヒルズを芸能人・著名人の隠れ蓑に提供するという新しい活用法を見出している。(限りなくグレーであるが逮捕されない)
・その六本木のど真ん中で真裸になり叫び警官に立ち向かうくらいの気概がないと、国民的アイドルは務まらない(この程度の罪なら禊ぎ機関は1ヶ月)。
・薬関係の芸能人芋づる式逮捕などあり得ない。(スケープゴートとして数人逮捕すれば警察の面目とエンタメ的国益の均衡が保たれる)
・四天王プロレスは癌。
・6場所全て8勝7敗でも最強日本人力士として君臨できる。
・冬の富士山には登るべからず、どうしても登りたいというなら一人で登るべし。
目から鱗の教訓が多い一年でした。