「仮想儀礼」 篠田節子(2009)
遅まきながら09年屈指の話題作2作について。
9・11を境にどう行動したか?オウム事件を宗教としてどう整理するか?テーマは奇しくももうひとつ取り上げようとしている高村薫「太陽を曳く馬」(次回以降アップ予定)と全く同じである。ネットの伝播力をすでに取り込んだ「ロズウェルなんか知らない」の劇場化社会事件をさらに深化し、起業対象としての宗教、宗教に依存する経営者の孤独とそれを冷ややかに見つめる社員、ジェンダーやジェネレーションによる目に見えない(直観的な)摩擦、家庭環境など共通項を持つもの同士の団結力、持たざるもの間の摩擦、といった様々なテーマを散りばめて破滅に向けた物語が展開される。
そもそも宗教とは何なのか?この物語では、確固たる教義、起源、神など存在しなくても(主人公たる創始者に関してはポリシーすらもない)、それをよりどころとする人々の手によって成長し、転がされていく共同幻想に過ぎない、という新興宗教独特の危うい側面が余すところなく描写されている。傍から見れば、非常に滑稽でシュール、できれば関わりたくない、オウムや9.11を通過した我々の「宗教」に対するスタンスもほぼこの物語どおり、といってよい。とにかく非常に現実と非現実のバランスが絶妙、宗教内部なら有りうべき話かな、と思わせられる秀逸なエンターテイメント作品であった。(最後の方の女性信者の淫らな暴走はやりすぎ感もありいただけなかったが・・・)
蛇足であるが、某巨大カルトをモデルにしたに違いない大物宗教家(こんなの描いて大丈夫?篠田さん)が一番怖い存在であった。
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