2008年4月10日木曜日

幸福な死

 私には今年95歳になる祖母がいる。約2年前、認知症が出だしたとほぼ同時期、散歩時につまづき足を骨折、それ以来、車椅子生活となり現在介護施設のお世話になっている。
 1~2ヶ月に1度、実家に帰る機会にはお見舞いしているが、行くたびに衰弱し、記憶も朧げになっていくのは見るに堪えない。ただ、この経験を通じて老人介護をめぐる多くの問題点、ひいては終末医療の理想形が見えてきたような気がする。
 祖母が入っているのは大規模施設ということもあり、知名度が高く希望者は多かったと聞く。が、入ってしまえば、Informed concentという名のもとに(身内は「安らかな人生を保証します」という趣旨の同意書にサインさせられる)、施設スタッフに管理を任され食事ひとつをとっても身内の関与は大幅に制限される。スタッフは基本的に主治医及び上位責任者の指示により動くのみであり、(命に関わるため指示以外の行動により個人責任になるのを極端に恐れる体制ができあがっている)結果的に個々の患者はOne of them、個と個で向き合った介護とは程遠いのが現実である。
 施設はいつも清潔でスタッフも十分にいる。が、入った当人は受動的に管理されるだけの単調な日々に真綿で首をしめられるような気分ではなかろうか。たまに介護ノートにスタッフからのメモ(今日は何があった、何をしゃべった)もあるが、長期に及ぶと徐々にネタもなくなってくる。終末を見守る施設とは、こうした生かさず殺さず管理するしかないのであろうか。もちろん、小規模でより個と個で向き合った介護をしてくれる施設もあるが当然競争率も高い。施設を選んだのも、ひいては痴呆を引き起こしたのも家族であり、責任の一端はあるし、贅沢いえる立場ではない。が、徐々に弱ってしまいには何もできなくなる生は本人にとってはあまりにも酷であり、見届ける身内にしても非常につらい。
 つい先日、当の本人も、力なく「ここで死ぬんか。もう十分に生きたからいいわ」ともらしたらしい。家族として、残りの人生、一緒にいる時間をより多くしてあげたい、と望むのみである。
 

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