一般に法による市場の介入が正当化されるのは「市場の失敗」がある場合に限られる。
では、市場の失敗とは?
①公共財:他人を排除することが不可能でかつ競合的でない財・サービス。
(例;防衛、外交、渋滞していない一般道路)
②外部性:市場取引を通じないで、他人にもたらす利益又は不利益のこと。
(利益=外部経済;〔例〕屋上緑化、不利益=外部不経済:〔例〕公害)
③取引費用:財やサービスの取引に際して要する時間・労力・金銭などの負担。
取引に関して常に交渉、訴訟、強制執行等が必要である状況下においては、本来は交換の利益を生むはずの市場が縮小しかねない。(逆説的にそれらを極小化するために法整備が必要)
【参考】「コースの定理」:権利が明確に法に記述され、その実現や移転のための取引費用がゼロであるならば、誰にどのような権利を配分しても常に資源配分が最適化される。
④情報の非対称:消費者と生産者の間で知る情報に格差がある場合。
(例:建築確認制度、消費者保護制度)
⑤独占・寡占・独占的競争
・独禁法:独占や寡占による非効率緩和
・特許法、著作権法:人為的な独占状態の創出による技術進歩や文化的創造の促進
2009年12月30日水曜日
昭和の名残
名古屋には昭和の香りを残した商店街や路地が点在する。
その代表格が吹上から滝子にかけて昭和区を南北に貫く「郡道」である。(正確には千種区の古井坂から南区の呼続まで) 1909(明治42)年に完成したというから、奇しくも今年100周年を迎えたわけだが、その沿道の佇まいはこの一世紀の人々の営みを我々に伝える生きた教科書である。
その昔、名古屋が「古井坂村」「御器所村」など村に分かれていたころ、それらを結ぶ「愛知郡」の主要道路として供用された道路であり、今も交通量は多い。一応、片側一車線の対面通行であるが、昔の街道ゆえ、両脇の家屋兼店舗や電柱の圧迫感があり、東京や京都の道路並に狭い(下手すれば名古屋市内の一通の道より狭小)。ここは車よりも、徒歩あるいは自転車での散策をおすすめする(もちろん通行車両には十分きをつけて)。
さて、気になる沿道の顔ぶれだが、まず外せないのが昭和の家屋風のコメダ珈琲店。今や東京・大阪にまで進出し、駐車場完備の路面店が主流のコメダ。が、ここ郡道沿いのコメダは、下手すれば民家として通り過ぎてしまうほど、ごくごく沿道の昭和の景色にマッチしている。そして奥にいくにしたがって、理容店、町の電気屋、金物屋、写真スタジオ、洋服店(ブティック)などノスタルジーを禁じ得ない店舗兼家屋のオンパレードである。沿道にはドラッグストアはあるが(かなり浮いている)、コンビニはない。そして、地方都市でありがちなシャッター街でもない。多くのお店は今も地域の住民の生活とともに歩んでいると思って間違いない。想い起せば、私の故郷でも幼少時は、こういったお店が元気であったし我々の生活を支えていた。こういった道並びに沿道の賑わいは本当に貴重であり、末永く保存しておきたいものである。
その代表格が吹上から滝子にかけて昭和区を南北に貫く「郡道」である。(正確には千種区の古井坂から南区の呼続まで) 1909(明治42)年に完成したというから、奇しくも今年100周年を迎えたわけだが、その沿道の佇まいはこの一世紀の人々の営みを我々に伝える生きた教科書である。
その昔、名古屋が「古井坂村」「御器所村」など村に分かれていたころ、それらを結ぶ「愛知郡」の主要道路として供用された道路であり、今も交通量は多い。一応、片側一車線の対面通行であるが、昔の街道ゆえ、両脇の家屋兼店舗や電柱の圧迫感があり、東京や京都の道路並に狭い(下手すれば名古屋市内の一通の道より狭小)。ここは車よりも、徒歩あるいは自転車での散策をおすすめする(もちろん通行車両には十分きをつけて)。
さて、気になる沿道の顔ぶれだが、まず外せないのが昭和の家屋風のコメダ珈琲店。今や東京・大阪にまで進出し、駐車場完備の路面店が主流のコメダ。が、ここ郡道沿いのコメダは、下手すれば民家として通り過ぎてしまうほど、ごくごく沿道の昭和の景色にマッチしている。そして奥にいくにしたがって、理容店、町の電気屋、金物屋、写真スタジオ、洋服店(ブティック)などノスタルジーを禁じ得ない店舗兼家屋のオンパレードである。沿道にはドラッグストアはあるが(かなり浮いている)、コンビニはない。そして、地方都市でありがちなシャッター街でもない。多くのお店は今も地域の住民の生活とともに歩んでいると思って間違いない。想い起せば、私の故郷でも幼少時は、こういったお店が元気であったし我々の生活を支えていた。こういった道並びに沿道の賑わいは本当に貴重であり、末永く保存しておきたいものである。
2009年12月27日日曜日
00年代とは何だったのか
つい先日、WSJの記者がニュースで、この10年を総括して"Reality show decade"と表現していたが、まさに言い得て妙だと感じた。確かにアメリカでは、"Survivor" に端を欲した空前のReality Show ブーム。見ず知らずの男女の共同生活を追う“Real World"、不動産王Donald Trumpの出資を受けんがために凌ぎを削る"Apprentice"、スター誕生的要素の“American Idol”、 さらには台本なしのドラマ“The Hills”などあらゆるフォーマットに、“Survivor”の手法は浸透、これらに共通する生き残りをかけたドラマこそが現実であると大衆に錯覚させ続けたのがアメリカという超大国であり、その影響を逃れられない我々も、現実をサバイバー的フィルターを通じて見るよう馴らされてきたように思う。(現に日本のTV業界でも、ここ10年受けたソフトといえば、「M-1」やT○Sの臭いスポーツ番組など、勝負の過程を見せて最後に笑った者を祝福する一定のフォーマットに従っている。今やそのTV業界自体が敗者になりつつあるが)
あらゆる者が何らかの理由で脱落してゆき最後に島に残ったのはたった一人。そして脱落した者たちも見どころがあれば拾う神もあり、勝者となってもその後も輝き続けるかどうかは本人次第・・・。これは何も企業間の競争やスポーツ界のみで見られる現象ではない。社内の業績評価、受験、就活さらには婚活、など人生はこういったシチュエーションの連続だ。そして、それらが電波やネットを通じて配信され、個々が親身に感じる、そして自分たちも同じ状況である、あるいはもっと面白いドラマがある、とネットを通じて配信する、このループ、いや増幅こそが00年代の(有って無いような)本質ではなかろうか。現実とは何?と実感するに、電波やITを通じて確認できるものがないと心もとない。大事件からゴシップ、日常生活に至るまで。。。その方向を決定づけた要因のひとつに9.11がある。あれほどの歴史的大事件がTVを通じて世界に配信される。配信されたものは即座に共通言語になりうる。が、その現実がTVやネットを通じて知り得た事実なのか、生身の人間として体験したことなのか、境界が極めて曖昧になってきている。そして生身の体験もTVやネットに溢れるフォーマットに変換せん、とする人間がいる。(と、これらは私自身のこの10年間の回顧なので反論は大いにあろうが)
私自身、反省として人間として生身の体験を、周囲の情報に惑わされることなく受け止め、生成し、アウトプットする力が著しく低下していると感じる。虚実ないまぜの00年代の空気に翻弄された、などと愚にもつかぬことをほざくつもりはない。着地点がよく見えなくなってきたが、とにかく生きている実感の持てる来るべき10年代にしたい、とでもして締めくくっておこう。
あらゆる者が何らかの理由で脱落してゆき最後に島に残ったのはたった一人。そして脱落した者たちも見どころがあれば拾う神もあり、勝者となってもその後も輝き続けるかどうかは本人次第・・・。これは何も企業間の競争やスポーツ界のみで見られる現象ではない。社内の業績評価、受験、就活さらには婚活、など人生はこういったシチュエーションの連続だ。そして、それらが電波やネットを通じて配信され、個々が親身に感じる、そして自分たちも同じ状況である、あるいはもっと面白いドラマがある、とネットを通じて配信する、このループ、いや増幅こそが00年代の(有って無いような)本質ではなかろうか。現実とは何?と実感するに、電波やITを通じて確認できるものがないと心もとない。大事件からゴシップ、日常生活に至るまで。。。その方向を決定づけた要因のひとつに9.11がある。あれほどの歴史的大事件がTVを通じて世界に配信される。配信されたものは即座に共通言語になりうる。が、その現実がTVやネットを通じて知り得た事実なのか、生身の人間として体験したことなのか、境界が極めて曖昧になってきている。そして生身の体験もTVやネットに溢れるフォーマットに変換せん、とする人間がいる。(と、これらは私自身のこの10年間の回顧なので反論は大いにあろうが)
私自身、反省として人間として生身の体験を、周囲の情報に惑わされることなく受け止め、生成し、アウトプットする力が著しく低下していると感じる。虚実ないまぜの00年代の空気に翻弄された、などと愚にもつかぬことをほざくつもりはない。着地点がよく見えなくなってきたが、とにかく生きている実感の持てる来るべき10年代にしたい、とでもして締めくくっておこう。
三角関係と二転三転の結末、そして容姿良し
の映画と言えば、かのWoody Allen師匠の近作 "Match Point"(2005) が頭をよぎるが、実はその2年前、同じイギリスを舞台にして撮られた作品があった。その名も
"dot the i"
i の最後に点を付けなさいよ、日本で言えば「画龍点睛」か・・・欠けていた何かがラストに味付けするんだろうな。にしても、たかが “i” で念押しされるってどこまで横着なんだよ欧米人(ちなみに"cross the t" という表現もあるらしい)、と思いつつ軽い気持ちで見始めた本作であるが、欠けていた最後のピースは“i” のドットどころじゃない、この怒涛のラストには感服した。前出の"Match Point"の偶発的ながらウィットに富んだラストも秀逸だったが、本作はそれに人為的すなわちサスペンス的要素を加え、完全に見る者を欺き、真の勝者が誰なのか最後までわからない仕掛けづくりに成功している。監督についてはあまり情報がないが、作中に溢れる「映画至上主義」的メッセージかの鬼才John Watersの“Cecil B”(2000)を彷彿させる。映画の芸術性を保たんとするヨーロッパ的精神に久々に触れることができた。Viva anti-Hollywood!!
最後まで他作品との比較で恐縮ながら、本作には、(監督は望まないだろうが)“Open The Eye"(1998 スペイン)のようにハリウッドでリメイクされるに十分な素地はある。が、仮にあったとしても作品として決してオリジナルを超えることはないであろう。なぜなら、本作のキャスティングが素晴らしく絶妙だから。
"dot the i"
i の最後に点を付けなさいよ、日本で言えば「画龍点睛」か・・・欠けていた何かがラストに味付けするんだろうな。にしても、たかが “i” で念押しされるってどこまで横着なんだよ欧米人(ちなみに"cross the t" という表現もあるらしい)、と思いつつ軽い気持ちで見始めた本作であるが、欠けていた最後のピースは“i” のドットどころじゃない、この怒涛のラストには感服した。前出の"Match Point"の偶発的ながらウィットに富んだラストも秀逸だったが、本作はそれに人為的すなわちサスペンス的要素を加え、完全に見る者を欺き、真の勝者が誰なのか最後までわからない仕掛けづくりに成功している。監督についてはあまり情報がないが、作中に溢れる「映画至上主義」的メッセージかの鬼才John Watersの“Cecil B”(2000)を彷彿させる。映画の芸術性を保たんとするヨーロッパ的精神に久々に触れることができた。Viva anti-Hollywood!!
最後まで他作品との比較で恐縮ながら、本作には、(監督は望まないだろうが)“Open The Eye"(1998 スペイン)のようにハリウッドでリメイクされるに十分な素地はある。が、仮にあったとしても作品として決してオリジナルを超えることはないであろう。なぜなら、本作のキャスティングが素晴らしく絶妙だから。
2009年12月19日土曜日
海上のブレアウィッチ
“Open Water” (2003米)
舞台は恐らくカリブ海。バケーションでスキューバを楽しみに来たはずの夫婦が、引率者のミスで海のど真ん中に置き去りに。。。実話に基づきながらも、低予算で恐怖の極限をリアルに表現する作風は、“The Blair Witch Project"(99米)を彷彿させる。
恐怖の最大の要因はサメ。決してJawsのような大型のホオジロザメが出るわけではなく、中型のサメ(ネズミザメ?)が2人の周りを不定期的に徘徊し、時に攻撃を仕掛けてくる。そのジワジワ感といつ襲ってくるかわからない恐怖が2人を追いこんでゆく。そして、体力の消耗。水温により体温を奪われ、昼間は太陽に照りつけられ、夜は雨に打たれる、更にはどちらが陸方向がわからない、という過酷極まりない環境の中で、いかに生への希求を見出すか、というのもこの作品の柱である。圧巻はラスト10分。夜の嵐の海でサメに襲われる恐怖を、稲光によるフラッシュ映像と音声のみで表現する、そして朝になってようやく捜索部隊が動き出したが。。。南米の奥地をイメージさせる暗い民族音楽調のBGMが切なさを増幅させる。
こんなにも、家のリビングでくつろいで見ていることに罪悪感を覚える映画はそうそうない。
舞台は恐らくカリブ海。バケーションでスキューバを楽しみに来たはずの夫婦が、引率者のミスで海のど真ん中に置き去りに。。。実話に基づきながらも、低予算で恐怖の極限をリアルに表現する作風は、“The Blair Witch Project"(99米)を彷彿させる。
恐怖の最大の要因はサメ。決してJawsのような大型のホオジロザメが出るわけではなく、中型のサメ(ネズミザメ?)が2人の周りを不定期的に徘徊し、時に攻撃を仕掛けてくる。そのジワジワ感といつ襲ってくるかわからない恐怖が2人を追いこんでゆく。そして、体力の消耗。水温により体温を奪われ、昼間は太陽に照りつけられ、夜は雨に打たれる、更にはどちらが陸方向がわからない、という過酷極まりない環境の中で、いかに生への希求を見出すか、というのもこの作品の柱である。圧巻はラスト10分。夜の嵐の海でサメに襲われる恐怖を、稲光によるフラッシュ映像と音声のみで表現する、そして朝になってようやく捜索部隊が動き出したが。。。南米の奥地をイメージさせる暗い民族音楽調のBGMが切なさを増幅させる。
こんなにも、家のリビングでくつろいで見ていることに罪悪感を覚える映画はそうそうない。
2009年12月12日土曜日
闇金くん
以前にも登場した『闇金ウシジマくん』。
entry 「最近の漫画」
今年のスピリッツでの連載の大半を占めた「楽園くん」編が遂にエンディングを迎えた。ファッション雑誌の読モになる、という刹那的な夢を追って都心に出てきた若者の波瀾万丈記、なんとも甘酸っぱく切ない幕切れであった。終わってみれば個人的には「フリーターくん」「サラリーマンくん」に匹敵する名作・大作であったと思う。毎週の漫画誌発売日を楽しみにするなんて中学時代以来のこと。主人公・センターTこと中田君に触発されて、マジでオシャレな服でも買ってみようと思ったのも何年ぶりだろうか(本当、いい年して馬鹿な自分)。そしてこの2009年、クサナギ、のりピー、押尾、市橋らがお茶の間の主役となった現実と微妙にシンクロしながら進行していくという奇跡のような展開も面白さに拍車をかけたことに違いない。(実際、事件直後の連載でクサナギを揶揄したリリックが出てきたのには笑った)。婚活詐欺女なんかにしろ、以前のこの漫画でデジャヴ的要素満載だし(肉まんま?)。本編を通じて感じたのは、以前と比べて人間味のある登場人物が増えたこと。悪役も以前よく出てきた理解不能のアウトロー、というだけではなく親しみある人間を「ちゃん」づけし、時には弱みも見せて「こいつ、実は面白い奴では?」と思わせるいかにもいそうなタイプになってきている。よりリアリティのある話に仕上がった、というのは決して現実とシンクロしただけが要因ではない。作者がストーリー、人物描写とあらゆる面で円熟の極みに達した証しでもあろう。
そして今週からいよいよ始まった新シリーズは、その名も「闇金くん」。ここ最近、狂言回しに徹していた本来の主人公・ウシジマが久々に物語の中心となる。ゲームでいえばラスボス登場、この漫画もいよいよ終焉に向かって動き出したことを告げるオープニングであった。また、毎週月曜を楽しみにする生活がしばらくは続きそうだ。
entry 「最近の漫画」
今年のスピリッツでの連載の大半を占めた「楽園くん」編が遂にエンディングを迎えた。ファッション雑誌の読モになる、という刹那的な夢を追って都心に出てきた若者の波瀾万丈記、なんとも甘酸っぱく切ない幕切れであった。終わってみれば個人的には「フリーターくん」「サラリーマンくん」に匹敵する名作・大作であったと思う。毎週の漫画誌発売日を楽しみにするなんて中学時代以来のこと。主人公・センターTこと中田君に触発されて、マジでオシャレな服でも買ってみようと思ったのも何年ぶりだろうか(本当、いい年して馬鹿な自分)。そしてこの2009年、クサナギ、のりピー、押尾、市橋らがお茶の間の主役となった現実と微妙にシンクロしながら進行していくという奇跡のような展開も面白さに拍車をかけたことに違いない。(実際、事件直後の連載でクサナギを揶揄したリリックが出てきたのには笑った)。婚活詐欺女なんかにしろ、以前のこの漫画でデジャヴ的要素満載だし(肉まんま?)。本編を通じて感じたのは、以前と比べて人間味のある登場人物が増えたこと。悪役も以前よく出てきた理解不能のアウトロー、というだけではなく親しみある人間を「ちゃん」づけし、時には弱みも見せて「こいつ、実は面白い奴では?」と思わせるいかにもいそうなタイプになってきている。よりリアリティのある話に仕上がった、というのは決して現実とシンクロしただけが要因ではない。作者がストーリー、人物描写とあらゆる面で円熟の極みに達した証しでもあろう。
そして今週からいよいよ始まった新シリーズは、その名も「闇金くん」。ここ最近、狂言回しに徹していた本来の主人公・ウシジマが久々に物語の中心となる。ゲームでいえばラスボス登場、この漫画もいよいよ終焉に向かって動き出したことを告げるオープニングであった。また、毎週月曜を楽しみにする生活がしばらくは続きそうだ。
2009年12月7日月曜日
電子マネーの今後
Edyでお馴染みビットワレット社。ソニー、NTTドコモ、トヨタ、三井住友など複数社の出資により成り立つ同社が、この度、楽天の連結子会社となることになった。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/05/news071.html
2001年のサービス開始以来9期連続赤字。2009年3月期も57億円の赤字を計上(2008年3月期の同68億円より改善したとはいえるが)。累損は380億円、第三者割当増資の繰り返しにより膨らんだ資本金は393億円。早晩、行き詰るであろうといわれた電子マネー最大手。今回のdealはまさに救世主登場ともいえるが、現筆頭株主であるソニーによっては、自社のFelicaが電子マネー業界でも汎用性のあるプラットフォームとなった今、Edyの手放しは厄介払いともいえよう。
では、なぜこんなに巨額赤字を抱えることとなったのか?赤字額が過去最大となった2008年3月期の内訳を見てみると、売上高41億円に対し、営業費用92億円。売れば売るほど赤字となる負の構造が見てとれる。費用の多くはシステム開発費と新規店舗開発費であろう。同じく電子マネー2番手、3番手が交通インフラや小売といった決済基盤を抱えるのに対し、メーカー主導のEdyはdisadvantageが大きい。例えば機器一体設置に10万円かかった(かつては本体だけで30万円)として、それを回収するには、手数料2%と仮定して、Edy決済で500万円の売上が必要。街中でよく見かけるようになったように見えるとはいえ、電子マネーによる決済率はせいぜい全売上の2%程度。単純計算で設置店舗の売上が2.5億円に達したところでようやく10万円の導入費をペイ出来るけことになる。実情は異なるであろうが非常に非効率なビジネスモデルであるといえる。電子マネーが今後生き残るには使用率の拡大、ハード・ソフトの低コスト化は必至である。
【参考】
http://www.nec.co.jp/finance/feature/review080601.html
http://card.benrista.com/essay_card167.html
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/05/news071.html
2001年のサービス開始以来9期連続赤字。2009年3月期も57億円の赤字を計上(2008年3月期の同68億円より改善したとはいえるが)。累損は380億円、第三者割当増資の繰り返しにより膨らんだ資本金は393億円。早晩、行き詰るであろうといわれた電子マネー最大手。今回のdealはまさに救世主登場ともいえるが、現筆頭株主であるソニーによっては、自社のFelicaが電子マネー業界でも汎用性のあるプラットフォームとなった今、Edyの手放しは厄介払いともいえよう。
では、なぜこんなに巨額赤字を抱えることとなったのか?赤字額が過去最大となった2008年3月期の内訳を見てみると、売上高41億円に対し、営業費用92億円。売れば売るほど赤字となる負の構造が見てとれる。費用の多くはシステム開発費と新規店舗開発費であろう。同じく電子マネー2番手、3番手が交通インフラや小売といった決済基盤を抱えるのに対し、メーカー主導のEdyはdisadvantageが大きい。例えば機器一体設置に10万円かかった(かつては本体だけで30万円)として、それを回収するには、手数料2%と仮定して、Edy決済で500万円の売上が必要。街中でよく見かけるようになったように見えるとはいえ、電子マネーによる決済率はせいぜい全売上の2%程度。単純計算で設置店舗の売上が2.5億円に達したところでようやく10万円の導入費をペイ出来るけことになる。実情は異なるであろうが非常に非効率なビジネスモデルであるといえる。電子マネーが今後生き残るには使用率の拡大、ハード・ソフトの低コスト化は必至である。
【参考】
http://www.nec.co.jp/finance/feature/review080601.html
http://card.benrista.com/essay_card167.html
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