2009年12月27日日曜日

00年代とは何だったのか

 つい先日、WSJの記者がニュースで、この10年を総括して"Reality show decade"と表現していたが、まさに言い得て妙だと感じた。確かにアメリカでは、"Survivor" に端を欲した空前のReality Show ブーム。見ず知らずの男女の共同生活を追う“Real World"、不動産王Donald Trumpの出資を受けんがために凌ぎを削る"Apprentice"、スター誕生的要素の“American Idol”、 さらには台本なしのドラマ“The Hills”などあらゆるフォーマットに、“Survivor”の手法は浸透、これらに共通する生き残りをかけたドラマこそが現実であると大衆に錯覚させ続けたのがアメリカという超大国であり、その影響を逃れられない我々も、現実をサバイバー的フィルターを通じて見るよう馴らされてきたように思う。(現に日本のTV業界でも、ここ10年受けたソフトといえば、「M-1」やT○Sの臭いスポーツ番組など、勝負の過程を見せて最後に笑った者を祝福する一定のフォーマットに従っている。今やそのTV業界自体が敗者になりつつあるが)
 あらゆる者が何らかの理由で脱落してゆき最後に島に残ったのはたった一人。そして脱落した者たちも見どころがあれば拾う神もあり、勝者となってもその後も輝き続けるかどうかは本人次第・・・。これは何も企業間の競争やスポーツ界のみで見られる現象ではない。社内の業績評価、受験、就活さらには婚活、など人生はこういったシチュエーションの連続だ。そして、それらが電波やネットを通じて配信され、個々が親身に感じる、そして自分たちも同じ状況である、あるいはもっと面白いドラマがある、とネットを通じて配信する、このループ、いや増幅こそが00年代の(有って無いような)本質ではなかろうか。現実とは何?と実感するに、電波やITを通じて確認できるものがないと心もとない。大事件からゴシップ、日常生活に至るまで。。。その方向を決定づけた要因のひとつに9.11がある。あれほどの歴史的大事件がTVを通じて世界に配信される。配信されたものは即座に共通言語になりうる。が、その現実がTVやネットを通じて知り得た事実なのか、生身の人間として体験したことなのか、境界が極めて曖昧になってきている。そして生身の体験もTVやネットに溢れるフォーマットに変換せん、とする人間がいる。(と、これらは私自身のこの10年間の回顧なので反論は大いにあろうが)
 私自身、反省として人間として生身の体験を、周囲の情報に惑わされることなく受け止め、生成し、アウトプットする力が著しく低下していると感じる。虚実ないまぜの00年代の空気に翻弄された、などと愚にもつかぬことをほざくつもりはない。着地点がよく見えなくなってきたが、とにかく生きている実感の持てる来るべき10年代にしたい、とでもして締めくくっておこう。

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