2009年6月21日日曜日

巨星墜つ

 すでに1週間以上経ってしまったわけだが、プロレス界を象徴するスター選手であった三沢光晴さんがリング禍で死亡した。81年デビュー、84年以降は二代目タイガーマスクとして活躍(初代との比較で当初はモッサリしているという評価が主流だったのも事実)、90年代は衝撃のマスク脱ぎに始まり(当時全日のエースだった天龍の脱退がなければこれもなかった?)、鶴田超え、いわゆる「四天王プロレス」を牽引し、全日だけではなくマット界のエースに君臨、00年代は全日を離脱しノアを設立、社長レスラーとして経営と現役の両面で活躍した。まさにマット界の至宝と呼ぶにふさわしい(現役第一線でこの称号に見合うのは武藤、小橋くらいか)。「過激なプロレス」の称号を完全に新日から全日に移行した90年代、そして(プロレスの筋書きについての)暴露本以降も「ノアはケツ決めなし」を宣言、体現し、格闘技ブームに対抗してきた00年代、長年の激闘による疲労蓄積は並大抵ではなかったと推測される。
 ノアのTV放映打ち切りに象徴されるよう、斜陽・人気凋落といわれて久しいプロレスであるが、その厳しい状況下においても夢を提供してきた第一人者の死としてはあまりに悲しく、受け容れ難いものがある。かつて深夜放送に追いやられた時代に「深夜労働者・夜勤者のためのプロレスがあってもいいんじゃない」とサラリといってのけた三沢氏。その時代時代におけるプロレスの役割を理解し、その駒に徹しようとした真のプロフェッショナルといえよう。
 
 合掌。

0 件のコメント: